麻布川越屋の歴史
明治16年頃 (1883) |
初代上原清三郎 今の埼玉県志木市より上京し(生家は豪農でした)雑穀問屋に働きそこの取引先の一軒に御田台町(現在の港区三田)煎り豆屋の祖大高亀吉がいた。
熱心な仕事振りが評価され亀吉に従事する事となる |
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明治22年 (1889) |
亀吉より独立が許され現在の本社近く麻布飯倉町にて煎り豆屋を始める。
当時の麻布界隈は御屋敷町で少し外れれば寂しい街並みだったようです。 今の飯倉片町辺りに在る狸穴と言う地名も狸が出るのでその地名になった と言われております。今の賑わいは昭和になってから・・・。 |
大正12年 (1923) |
二代目 上原榮太郎 現在の東京都港区東麻布本社地に煎り豆機4台導入し本格的に煎り豆業を始める。
この頃は大八車に豆を積み今の目黒、五反田、渋谷の近くまで一日がかりで配達をしていました・・・。 |
昭和26年 (1951) |
資本金50万円で株式会社 川越屋設立 煎り豆機6台導入して、小売店へ卸売りを本格的に始める。 |
昭和30年 (1955) |
三代目 上原栄一 代表取締役就任 スーパーマーケット、百貨店などへ卸売りを拡張する。 |
昭和43年 (1968) |
資本金300万円に増資する。 日本橋 高島屋に出店する。 |
昭和54年 (1979) |
資本金500万円に増資する。 |
平成2年 (1990) |
創業100周年 社名を株式会社 川越屋から 株式会社 麻布 川越屋へ改名。 商品をより美味しい物、本物の味、安心な物造りを基本とする。 |
平成3年 (1992) |
本物志向の千葉県産の落花生だけで作った「ぴーなっつぺーすと」が人気を呼ぶ。(今でも大人気商品です) |
平成5年 (1993) |
生活協同組合(COOP)へ販売を始める。 |
平成7年 (1995) |
資本金1000万円に増資する。 |
平成10年 (1998) |
ホームページ開設 WEBネット企画室にてネット販売を始める。 |
平成18年 (2006) |
4代目 上原 武 代表取締役就任 |
平成19年 (2007) |
新橋営業所開設 新商品に積極的に取り組む |
平成20年 (2008) |
より拘りの商品「落花生甘納豆」「落花生煮豆」「ぴーなっつあいす」 「ぴーなっつさぶれ」順次販売 |
平成21年 (2009) |
海外(特に台湾)に販路を築き、WEBネット企画室にて販売戦略を構築
現在に至る。 |